Freedom and Responsibility 自由であるために必要なこと

先日Instagramのストーリーズにアップした
何気ない言葉に対する反響が意外と大きく
とても嬉しかったのと自分へのリマインダーの意味も込めて
このブログで改めてご紹介させてもらいたいと思います。

ストーリーズにアップしたのはこちらの言葉。


自由で在るためには責任を持つこと
責任を持つことは自由になること
ここでいう「責任」は他人に対するものではなく
「自分自身」に対する責任


どんな思想を持って
どんな感情を感じて
どんな視点で物事を見て
どのように解釈をして
どんなものを愛して
どんなものを受け入れて
あるいは受け入れないで


つまりはどんな風に生きていくのか


すべては自分自身の選択であり
「自分のみが自分の人生の主導権を持っている」
という責任


被害者意識や不平不満を垂れ流すことは
その責任を放棄して
自らの自由を奪う行為であるということを
常に心に留めておきたいなと思う



「自由の裏には責任がある」というのはよく耳にするし
かのフロイトもそんな言葉を残しています。


私がここで言いたい「自由」とは

「自分の人生の舵が取れるのは自分自身のみ」であるということで
そう在るために「どういう自分で在るかという責任」を持ちながら
生きていくことで「真の自由」を持ち続けることができる。

ということです。

語れば語るほどややこしいですね(笑)


つまるところ「誰のせいにもしない」ということでもあります。

誰のせいにもしないということは
他人や環境のせいにもしないけど
もちろん「自分のせい」にもしないということ。

何かや誰か--

何よりも「自分自身」を責めて追求することからは
罪悪感や嫌悪感しか産まれません。
そんなのいっさい、要らないです。


起きてしまったことや、今ある問題を俯瞰で見られる余裕。

そしてそれらをありのままに
ジャッジメントを介さず受け止めることができれば
私たちはきっともっと強く、優しく、美しく生きられるのだと思うのです。


英語では自分に対して慈悲・慈愛の心を持つことを
”Self-Compassion”(セルフコンパッション)と言って
Self-Loveと同じくらい耳にするフレーズのひとつです。

このセルフコンパッションを持つことは
自分の生きる世界からジャッジメントを減らし
「犯人探し」や「責める」ことに費やすエネルギーを消失させます。

誰のせいにも、何のせいにも
自分のせいにもしなくて済むようになるのです。
きっとこれが出来ると、生きることを自由に軽快に楽しめるんでしょうね。



私もあーだこーだと不平不満をぶーたれたり
誰かや何かのせい、あるいは自分のせいにしてしまうことも多々あるし、
けっして完璧にできてるわけではないです。けっして。


ただ自分の中にこういう態度が現れた後、最近ふと、

「この自分は美しいだろうか?」

という問いが頭をよぎります。


ここで私が考える「美しさ」は見た目の美醜のことではなく
自分自身の在り方、自分の人生における態度そのものを指します。


そう自分に問いかけた時は大体

「醜い」

「ダサい」

という結論に至るので(笑)


若い頃のようにいつまでもぐずぐずと
こういった態度を引きずらなくて済むようにはなってきました。

それでもまた何かや誰かのせいにして
また問いかけて、ハッとして、ということを繰り返すのですが。

ま、陰陽は巡るから・・・と言い訳してみる(笑)



なんにせよ言い訳(今さっきしたよね)や
責任転嫁をせず人生を自分の足で歩いていくぞ、という
気概のある女性は美しいし格好良いと思うので
そういう女性像を頭に浮かべてはダサい自分の肩を叩くのです。

ちょいとお前さん、そこらでやめときな、と。


あとは先に述べたセルフコンパッションを持つ練習をすること--

どんな自分で在っても、どんな失敗を犯したとしても
自分を責めない、攻撃しない。


とにかく慈悲の心で自分自身と対峙する練習です。


話を聞いているとこれがみんな意外と難しくてですね
自分と一番仲良くしなきゃいけないはずの自分自身が
実は一番辛辣だったりします。


”また同じ失敗してる。あーバカだ。”
”こんな簡単なこともできてない私。ダメだ。”
”自分が悪いからこうなってしまったんだ。”



自然とこういった言葉が心の中で出てしまう時は
自分自身だけでなく他者に対しても
同じように考えたり接していたりします。

逆に自分に対する心の声=セルフトークが
慈愛に満ちた寛容なものであれば
他者に対しても同じ態度で接することが出来るのです。



少し話が広がりすぎましたが
「自由」であることは生きる上で皆平等に与えられた権利であり
それは自分の意識次第でどうとでもなる
、ということ。


不幸を嘆いて自分を窮屈な場所に閉じ込めておくのも
今あるものに感謝をして明るくのびのび生きていくのも
どちらを選んだって自分の責任です。


あなたは自由に生きたいですか?

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