最近、バルネラビリティの真の意味とはなんぞや、ということについてよく考えます。

このVulnerability(バルネラビリティ)、日本語ではよく「脆さ」や「傷つきやすいこと」と訳されています。が、私個人としては「ありのままの自分を晒した状態」や「自分の弱さを受け入れている状態」という言い方がしっくりくるなあと思っています。

 

ありのままの自分を晒すこと、自分の弱さを受け入れること。

どちらも私にとってはとてつもなく勇気のいることであり、これに伴う恐怖や恥といった感情たちは切っても切り離せません。

 

こうやってブログを書くことも、私にとってはバルネラブルであることの一つです。

世間に向けて自分の考えや想いを発信していくこと、またそれが受け入れられるのかどうか、それ以前に反応があるのかないのかもわからない状態で、自分の好きなことをただただ書き連ねることへの恐怖、恥、喜び、楽しさ、創造性。

たかがブログとはいえ、色々な感情が入り混じっては去来します。

 

私の好きなTED TALKスピーカーの一人、ブレネーブラウンがユーモアを交えながら「バルネラビリティ」=「傷つく心の力」の重要性について語ってくれています。観終わったあとには温かい気持ちになれるし、おすすめです。

*日本語字幕設定をオンにすれば、日本語でも観られます

 

この中で彼女は、私たちは「心のもろさ」に溢れた世界に生きているのだと言います。

–誰かに助けを求めること
–正直に愛を伝えること
–自分の意見を言うこと
–パートナーをセックスに誘うこと
–医者からの告知を待つこと
–解雇されること
–あるいは解雇を告げること

これらはどれも、もしかすると自分が傷つく可能性のある言動たちです。
でもこれはすべてリアリティであり、私たちが生きている世界。私にももちろん経験があることだし、きっとあなたにも。

 

しかし私たちはバルネラブルであることに耐えきれず、時として自分たちを「麻痺」させてしまいます。

アルコールを浴びるほど飲むことや甘いお菓子をひたすら食べ続けること、また非難をもって自分の正当性を主張することも、自分の持つ痛みや苦しみから目を背けさせる行為のひとつ。

 

ただ私たち人間は、選択的にある感情だけを麻痺させることはできないものだそうで。

私たちが「恥」や「恐怖」「怒り」や「失望」といった感情に蓋をする時、同時に「喜び」「感謝」「幸福」といった、豊かな人生に必要不可欠な要素をも封じ込めてしまうのです。

 

 

つまり本当に豊かで幸せな人生を送りたいのなら、バルネラブルであるということは避けて通れない要素の一つと言えます。

 

最後にブレネーは「私たちは完璧でなくていいし、苦しみを背負っていてもいい。それでも愛されるに値する存在である」と説いています。

 

私たち一人一人が自分自身に対して、こういった慈愛の気持ち(Compassion)を持つことができれば、それは自然と他者へも向けられ、より豊かで生きやすい社会になるんだろうなと思います。

 

次回はバルネラブルであることで得られるベネフィットと、バルネラブルであるためのエクササイズをご紹介します。